最近のニュースは危機感でしかない。絶対に飲み込まれない
セルフレジが増えるんだって
コンビニ外国人という本を読んだのが2018年だったらしい
コンビニ外国人という本を読んでから3年、その間に僕の見てきた世の中は
まるで幸せな感じでない。僕は、できる限りのことをやり、日々奮闘している
2018年になぜ、コンビニ外国人という本を読んだか?というと、時折帰る日本で、コンビニの店員が外国人である事に違和感を感じたからです。
違和感は、日本語がうまい事、日本の社会になじんでいない事。
皆さん、誰一人としてコンビニで働いている外国人としっかり話をした人いないですよね?
でもどのコンビニに行っても、外国人が働いている。日本の社会に不可欠となっているにも関わらず、その人たちがどんな人なのかさっぱり知らない。当時、アマゾンGOという無人のコンビニが作られて、、今では?どうなんだろう相当増えたのかな?レジの無人化が日本でも進んでいるようなので、だいぶ浸透しているんだろうと思う。無人化は「人手不足」と「非接触販売」と言っているけれど。。。
危ないよ。。。って思う。
僕はコロナを完全に封じ込める方法を知っています。簡単です。
「人類が接触しなければ良い」
極端ですけれど、それを達成する事は不可能ではなさそう。
オンラインで仕事して、衣食住もオンラインで注文すれば良いんじゃないかな?って思う。
配達も人との接触ナシでできるようになっているし。
おおよそ、想像できるし、すでに実施されている。
極端な例を示したけれど、大なり小なりそのベクトルで動いているのだろうと思う
それをやる事によって、おそらく人間が人間らしく生きることの意味が薄れてくると同時に、人間の存在価値が薄れてくることになると思う。
まだ気が付きませんかね?
貴方が居なくても、お勤めする会社は特に問題なく稼働しますし、数日困る事が起きる程度です。
僕が居なくても、たいして困る事は置きません、皆さんの中で、おいー!俺の靴、、どうなんだよ。。って思う方が多少いるくらいです。
そもそも、人間としての価値は自分自身に対してはあまりなく「別に俺が今日いなくなっても、俺は困らない、貴方は困るかもね」程度です。 つまり、僕の勝ちは他人が決める。
「お前の仕事お前がやらなきゃ困るんだよ」誰かの為にやる仕事に自分の価値がある。
(こんな感じで養老孟子は言っていた)
他人の為に居る事が「私の生きる価値」だから、誰かに奉仕するために与えられた命、こういう説明に僕は納得している。
誰かの為にやる物事がなくなった瞬間に。自分の価値はない。
今も靴を頼まれています、一生懸命探しています。それはその人が頼むから、そこに僕が生きる価値があると思われていて、そのために生き続けている、働き続けている。
「レジができます!」なんて能力に価値はなくなったんだな。もちろんレジをやる事に価値を見出さなくなった日本人が多いってのも理由だと思うけれど。
そうやって、だんだん価値がなくなっていく
あぶねーよ。
僕は機械にできない仕事を常にやる事にしている。アナログだけど、これは絶対機械には無理というものを選ぶようにしている。