人新世の「資本論」という本を読みました
人新世というのは、地球上の地層に残る跡の事です。
アントロポセーンだったかな。。。 例えば、福島の原発がメルトダウンして、放射能がばらまかれました、
その跡がこの年代に残る。
人類が存在したこの時期は地球の地層にしっかり跡を残している 地球の年齢が100才だとして、
地球上の人間の存在時期は数秒?そんな話を小学生の時に聞いた、 この数秒で人間は地球に大打撃を与えている
映画なんかでは、核爆弾で地球がダメになって、住む場所がなくなっちゃいました。なんて話があるけれど
大して悲観的ではないけれど、何らかを理由に人類は地球を破壊するんだろうなって思う。
この本を読むきっかけとなったのは、サステインナブルSDGsなんて言葉が最近目立ってきているという話を聞いたからです。
サステインナブルと言う言葉を初めて聞いたのは、18年前に僕がアメリカに来た頃です。
持続可能な開発をしなければなりません
カリブ海の小さな島は、海洋資源があり、綺麗な海が広がっている、ただし、国力は弱く、資源もないから貧乏だ。
そこにアメリカの大資本が入ってきて、ここに大きなホテルを建てて、観光客を沢山呼ぶ!なんて話が舞い込んだ。
小さな島の人たちは、大きなホテルが来てくれることを喜んで、大ホテルの建設に同意した。
ホテルはアメリカ人によって運営され、アメリカから人がきて、アメリカ人が運営し、そしてアメリカ人の観光客がわんさか来た
アメリカの資本家は大きな富を得て、アメリカの観光客は綺麗な海を楽しんだ。
そしてその地域は汚れた、汚れた場所からアメリカ人は去っていった。
カリブの小さな島は、汚れた海と廃墟となったホテルを前にして、こんな開発は止めて欲しい。
そして、サステインナブルな開発を望む事となった、それはつまり
開発をしても、地元の人の労働が守られ、地元の環境が守られる、そういう開発しか行わない
自分たちの財産を食い物にしてしまう、将来に財産を受け継げないような開発はやめよう、と言う事だった。
さて、地球規模のマクロな目でみてみよう。
ビニール袋、ストローがあふれ出して、海が汚れる、マイクロチップとなり、魚の体内に入り、それが食物連鎖の中で人間の中に戻ってくる(ざまーみろ!)
食を通じて僕らの体の中にはクレジットカード1枚分のプラスチックが入っている。
ビニール袋を止めて、エコバッグを使う事がSDGだなんて言ってる、必要以上にエコバックをもって、次から次へと新しいバッグへ変えていく、
SDGを勉強するために、沢山の紙を使ってポスターを使って宣伝する。
ストローを紙にしたところで、使っているカップはプラスチックである。
私はストローは使わない!紙コップも、プラスチックカップも使わない
マイボトルをもって行動する、それがエコだと思ってる、かくいう僕もマイボトルをいくつも持っている
多量の飲み切れないコーヒーを毎朝作るのをやめて、KURIGでコーヒーを飲む。毎回飲むたびに、小さなプラスチックカップがゴミとなる。
KURIGを使うために、今までのコーヒーメーカーを捨て、新しいコーヒーメーカーを買った。
どこがサステインナブル(持続可能)なんだと思う。
福島の原発が爆発してから10年、放射能は垂れ流し、浄化装置アルプスでは取れなかったトリチウムを海に流すことにした。
12年で半減期を迎えられるそんな原発のゴミですら、海に捨てる決定をする日本と言う国が、10万年も管理しなければならない核廃棄物をどう責任をもって対処するんだと疑問に思う
モンジュの開発には断念した。再利用なんかできやしない。
原発で痛い目にあったのに、今じゃ再稼働している
そんな矛盾だらけの世情で、コロナウイルスが爆発しパンデミックとなった
これからもっと世の中恐ろしいことが起こる、地球気候変動も徐々に感じている。
もっと恐ろしいことが起きるのを目の前にして
僕らは僕らの政府のやり方を今、目の当たりにしている
人権が奪われる、 行動が制限されて、ビジネスが制限されて、ついには罰金までとられる、こんな世の中に誰がした?
資本主義の下で、人々は無能になった。
自分を良く見つめてみると良い、何もできない、単に社会の部品でしかない
僕は良く言われる。「この人は何も教えてくれない人です」と
僕は別に教えることは無い、人それぞれの創造力に期待しているのだが、
マニュアルが無いと行動できない人が増えている
何をしたらいいですか?とよく聞かれる。 自分で何をするか考えて行動すると良い と伝えるのだが、
完全に、上を向いて、 「一体何をしたらいいんだ。。。。」と途方に暮れる人が多い
僕もその一人なのかもしれないが、僕はそうなりたくない!とずっと考えて生きて来た。
ただ、僕はよく覚えている。 一生懸命勉強して、一生懸命仕事を探して、一生懸命働いた
そして会社を辞めたとき、自由になったと思ったのは束の間
誰かに、何かを言われなければ、何もできない人だった。
一生懸命社会の教えを受けてきたのに、何もできなかった。
アメリカに来た時、ガソリンを入れることが出来なかった、
レンタカーをすることもできたし、車を運転する事もできたが、ガソリンを入れることが出来なかった。
ガソリンの入れ方を教えてくれ!ガソリンスタンドで伝えると
お前!!! 運転はできるのか????? と言われた。
そう、ガソリンの入れ方を知らなくても運転はできる。 それがどんなに滑稽な事か。。。。
ブラインドタッチができたって、書きたいことが頭に無ければ全く意味がない
グーグル、ウィキペディアを目の前にしても、調べたいことが無ければ意味がない
スーパーでお肉や野菜が売っていても、料理の仕方を知らなければ意味がない。
読み書きソロバンが出来ても、好奇心が無ければ意味がない。
英語が喋れても、友達がいなきゃ喋れない。
そんな矛盾だらけの、無機質な世の中を作ったのは何が原因だ?
それは資本主義の行きつく先だった。
すんごい面白い本があっても、読まなきゃ意味ない。
文字を読んだり、書いたりできるようになっても、読む好奇心もなければ、発信する想像力もなけりゃまったくもって宝の持ち腐れ
何のために身に着けた能力だかわかりゃしない。
もうちっと楽しい人生を生きるべきだと思う。
僕としては、結構楽しい人生を歩んでいるつもりではあるのだが、もっと楽しく生きて良いと思ってる
誰の人生が楽しそうで、誰の人生がツマラナそうかなんて事はどうでもいい
もっと楽しく人生を過ごせる仲間が多かったら良いなと思う。